「教養教育について語る(2)ー 溝川悠介教授」
(2008.03.17掲載)
教養教育について、溝川悠介教授にお聞きしました。
ー「教養とは何か」と問われたらどのように答えられますか? 「教養とは何か」という問いに一言で答えるのはなかなか難しいですね。広辞苑には、教養とは「単なる学殖、多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」とあります。「教養とは」、時代や民族のみならず個人によっても相当幅があるものですが、なんとなく感じは分かりますね。ただし、広辞苑の定義では、実践との結びつきが欠けていますね。
ー「実践との結びつき」とはどのようなことでしょうか? 学生時代に出会った私の好きな言葉に、「社会を解釈することではなく、重要なことは変革することである」があります。私にとって、この言葉は現代求められる「教養」に通じるもので、教養とは、「幅広い知識」や「文化的素養」を、単に身につけているだけでなく、もっと実践的な「いかに生きるべきか」、「いかに行動すべきか」であり、それを裏打ちする「物の見方、考え方」を身に付けている、付けようと努力していることと結びつきます。つまり、個人と社会との関連の中で、「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何が出来るか」を日常不断に考え、その実現のために行動できることが「教養がある」といえます。「教養がある」と感じるのは、目標は高いところに置きつつ、現状から出発し、その言葉や行動は十分な観察・調査に立脚し、相手の立場を考え、とりわけ弱者へのいたわりがあり、優れた人間性が裏打ちされているときです。
教養教育の力が試される大きな現代的課題に「環境問題」、「世界平和」などとどう向き合うかがあります。平和に関して言えば、優れた科学者であり、且つ人間として平和を訴え続けた何人かの偉大な科学者が思い起こされます。アインシュタイン、キュリー夫人、ジョリオ・キュリー、ロートブラット(マンハッタン計画から自ら退いた唯一人の科学者)、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一・・・。これらの科学者の「物の見方・考え方、生き方」の中に私は「教養」を感じます。湯川秀樹さん次の言葉は私の目標とする「教養」に近いものです。「人間というものはみなそんなに違わないのだから、みんなが何とか助け合って、少しでもこの世の中をよくしていこう。お互いに自分のため、人のために努力して生きていこう」(『生きがいの創造』、創造社)。
ー先生の「物の見方・考え方」に大きな影響を与えたのは何でしょう? 1944年生まれの私には、戦争という生死の極限状態で「いかに生きるべきか」に直面したことはありませんが、親達の戦時の苦しい体験からは他の家庭以上に大きな影響を受けたと思います。書物や映像から強烈な印象を与えられたのは二つあります。ひとつは、小学校3年生の時に観た映画「ひろしま」。記録映画だったと思いますが、焼けただれた皮膚をぶら下げ水を求めて、黙々と歩く行列、正視できないケロイド、などその後何年間は瞼を閉じるとその光景が思い出されて、寝られませんでした。「戦争はいやだ!」の原点です。いまひとつは、五味川純平の「人間の条件」の梶です。知識人梶は常に理想と現実との矛盾に悩みながら「人間らしい生き方」を求めていますが、ある時、中国人捕虜の斬殺処刑を目の前にして、「その非人道的な処刑を許せない、止めなければならない、しかし、止めれば自分の生命はない、狂気の戦争の中で、人間であるためにはどう生きなければならないのか・・・」。4人目の処刑のとき、ついに梶は一歩前に出て殺されるのを覚悟で処刑中止を訴える。40年ほど前に読んだり、観たりした場面が強烈な印象で残っており、そのような生き方への憧れと、とてもできないとの想いが今も残っています。
ー教養教育はどうあるべきと考えられますか? 前節で私なりの「教養とは何か」に関する思いを書いてみました。そのような「物の見方・考え方」、「生き方」は学生自らが主体的に獲得することが基本であり、教養教育はそのための材料を提供し、ともに考える作業の中で学生、教員とも「教養」を身につけていくものだと思います。大学における教養教育の必要性、重要性、現代的意義については誰しも否定しないでしょう。しかしながら多くの教員が自ら受けてきた「教養教育」や研究重視、専門教育重視のため、教養教育を飾り物として軽視しがちであるように思います。府大における教養教育の再構築のため、「中教審答申」(2002.2)で提起された大学における教養教育で重要な課題を振り返っておきます。
- 「今後の高等教育の方向性は、専門性の向上は大学院を主体にして行い、学部では、教養教育と専門基礎教育とを中心に行うことが基本となる。そのため、教養教育のあり方を総合的に見直し、再構築することが必要である。」
- 「新たに構築される教養教育は、グローバル化、科学技術の進展、社会の激しい変化に対応しえる、統合された知の基盤を与えうるもので、理系、文系、人文科学、社会科学、自然科学の縦割りの知識伝達型教育や専門教育への単なる入門教育でなく、専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考方法などの知的な技法の獲得や、人間としてのあり方や生き方に関する深い洞察の涵養など、新しい時代に求められる教養教育の制度設計が必要がある。」
- 「このことは、すべての教員の教養教育に対する意識改革なしには実現できず、教養教育に携わる教員には高い力量、教育のプロとしての自覚、授業内容や教育方法の改善への絶えざる努力が求められる。」
- 「各大学においては,『大学教育には教養教育の抜本的充実が不可避であり,質の高い教育を提供できない大学は将来的に淘汰されざるを得ない』という覚悟で,教養教育の再構築に取り組む必要がある。」
これらの課題を府立大学全体の共通認識とし、大学執行部や総合教育研究機構が中心となって、目先の利益に右顧左眄することなく、基礎・教養教育の再構築に取り組んでいくことを、大いに期待しております。ーありがとうございました。