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「教養教育について語る(1)ー山口義久教授」
(2007.06.01掲載)

山口義久教授  教養教育について、山口義久教授にお聞きしました。Q:教養というものを、どのように考えられますか。A:いきなりそう来ましたか(笑)。教養という日本語は、いろんな連関で使われてきたので、ある意味では手あかがついていると言うか、ひとによってさまざまな連想が働いて、なかなか教養とは何かという問いを立てて、それにストレートに答えるというわけには行かないところがあります。ほかの言葉でも、大なり小なりそういうことがあるのですが、そういう場合に私は、概念を整理するために、教養と訳すことのできる外国語をとり上げたりします。私自身の研究に使っている古代ギリシア語で言うと、パイデイアーですね。この言葉は、教える立場から見ると教育と訳せるし、教育を受ける立場から言うと教養と訳せます。そういう意味では、教育が身についたものが教養と言えそうです。ただ、専門的な学問も教育できるわけで、さまざまな学問が成立すると、エンキュクロス・パイデイアーつまり「一般に流通する教養」という言葉が使われるようになりました。この言葉は、ローマ字で書けば分かるでしょうが、百科事典と訳される言葉の語源になっています。それが専門的な学問と区別される点で、現代の教養あるいは一般教養という概念とつながるものではないかと思います。つまり、回り道になりましたが、専門家だけが必要とする教育ではなく、誰もが必要とする教育を身につけたものが教養だと言えるでしょう。
Q:そうなると次は、そういった教養の教育をどうするかということになりますね。A:教員の立場からすると、その問題が一番難しいと言えるでしょう。専門的な学問の点では、教員のほうが先を行っているのは当然だとしても、教養の点ではどうなんでしょうか。自分の教養がにじみ出るような授業ができれば理想的かもしれないけど、そのためには、よほど高いレベルの教養が必要になると思います。逆に言うと、教養の満ちあふれた教員が講義をしたからといって、学生に教養がつくとはかぎらない。結局、何を目指して教育するか、その目標をどうやって達成するかを考えることが大事だということになりますね。
Q:教養科目の教育目標というのが、どこかに掲げられていたと思いますが。A:総合教育研究機構の『授業科目ガイド』には、「幅広い見識」や「問題意識の向上」、「適切な判断力」、「生きる力の増進」などという言葉が使われています。主題別教養科目にはさまざまなテーマが含まれていますから、こういった目標のどれに重点が置かれるかは、科目によって変わってきて当然だと思います。ただ、教養科目全体に共通して求められるものと言えば、そのうちでは「幅広い見識」が最も重要でしょう。もちろん、百科事典的な知識を幅広く学んだとしても、それが幅広い見識になるとは言えないし、百科事典みたいに沢山のことを学ぶこともできませんよね。幅広い見識を身につけるために必要なのは、私は多様なものの見方だと考えています。同じ事柄でも、さまざまに異なった視点から見ると違って見えるというか、違った側面が見えてくることがあります。同じ観点だけを見ても問題が見えて来ないし、狭い視野で考えていたら適切な判断もえられないでしょう。生きる力も、問題意識や判断力、見識に支えられるわけですから、結局のところ、学生が多用な視点をもてるようにというのが、教員の立場から心掛けるべきことだと考えています。
Q:ご担当の教養科目についてお聞きしてもいいですか。A:それを言うと宣伝になってしまいますが(笑)。主題別科目としては、「哲学と思考」と「哲学と人生」を担当しています。前者はタイトルから想像できるように、よく考えるためにはどうしたらいいかという問題を考えさせようとするもので、先の教育目標のうち、最初の三つを念頭に置いています。哲学と人生というのは、会心のタイトルではないのですが(笑)、分かりやすさを優先しました。生き方との関連で、善さや価値について考えさせようとしています。教育目標としては、とりわけ最後のものが関係しますね。もちろん、この科目をとったからと言ってすぐに生きる力がつくとは、べつに責任逃れのつもりではないけど、思いません。だけど、いろんな視点を学ぶことで、それがあとから効いてきて、何年か後にでも役に立つことがあったらいいなと期待することはあるし、そういう期待を捨てたらおしまいだろうと思っています。教養科目って、そんな気の長い一面があってもいいというか、そういう面を積極的にもつべきでしょう。